立ち読みできます。―かつてのコイビト一人暮らしのアパートを引き払うため、ダンボールに少ない荷物を詰めていた。 十月―。もう季節は秋に入ってしばらく経つというのに、その日は、日差しが 入ると、ついこの間の残暑を思わせるほどであった。 川嶋由紀子はTシャツにスウェット姿で胡坐をかきながら、開け放った窓から 入る、蒸し暑さを時々さらってくれる風邪に吹かれて、一人思い出に浸っていた。 物入れに使っている靴箱には、古い手紙やら領収書、映画の半券、スケジュール帳 、昔使っていたアドレス帳などが、蓋が浮いてしまうほどぎっしり入っている。 古い手紙を読み返すと、(案外私って友達多かったんだ)などと改めて 気づかされる。しかし、その手紙の差出人たちも今は遠い思い出の向うに 行ってしまった。一緒にくだらない話で盛り上がった女友達もいれば、少しいい 関係になったボーイフレンドもいる。もう少し人付き合いをまめにしていれば、 今だって連絡くらいは取り合う間柄だったのだろうが、由紀子には社交性が 少しばかり足りないようだ。途切れた関係をもう一度つないでみたい相手もいる が、その手紙の消印がもう戻れないことを語っている。 (今、何をしているんだろう・・・) 思いを馳せるとたまらなくなる。生きていれば、今年四十三になっているはずだ 。 その靴箱の中で見つけたスケジュール帳には由紀子のかつての恋人、君島豊 との約束が規則正しく毎週金曜日に記されていた。 そのスケジュール帳には一枚の写真が挟まっている。撮ったのは由紀子。写真 の中の君島豊は困った顔をして、ファインダーを覗く由紀子を見つめ返している。 写真はきらいだという豊。撮ったのは、後にも先にもこの一枚だけだった。 久々に出会った十年前の豊。不精髭を生やしたその頬に触れてみたい気がした。 その感触はまだ手の平にはっきりと残っている。それはザラザラとした優しい 手触りだった。その頬から香る豊の匂い・・・・。 (大人になってしまった私を豊はどう思うだろう) そう思うと、あの時の二人だからこその関係だった気がしてくる。豊に出会った 頃、由紀子は十九歳だった。そこから二十三歳までの学生時代を豊一色で過ごした 。豊にとっての由紀子は、きっと未だにその頃のままだろう。 ―「かつてのコイビト」冒頭より。 続きは、書籍の方でお楽しみください。 私の書いた小説「かつてのコイビト」はここで買えます! 楽天ブックス ジャンル別一覧
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